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東京地方裁判所 平成9年(ワ)12859号 判決

原告

有限会社甲野加工

右代表者取締役

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

関澤潤

加藤愼

村島俊宏

林賢治

被告

大同生命保険相互会社

右代表者代表取締役

宮戸直輝

右訴訟代理人弁護士

平山三徹

主文

一  被告は、原告に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する平成九年六月五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

主文と同旨。

第二  事案の概要

本件は、原告が、被告との間で締結した保険契約に基づき、被保険者である亡甲野太郎(以下「太郎」という。)の死亡が保険事故にあたるとして、被告に対して保険金を請求した事案であり、被告は、太郎の死亡は保険金請求の原因となる保険事故にあたらないとして争っている。

一  前提事実(証拠を掲げない事実は当事者間に争いがない。)

1(一)  原告は、被告との間で、昭和六四年一月一日付けで、概要以下の内容の保険契約(以下「本件契約」という。)を締結した。(乙一〇)

被保険者 太郎

保険金受取人 原告

証券番号 三四九三七六

保険金額

普通死亡保険金 五〇〇〇万円

災害割増特約死亡保険金 五〇〇〇万円

(二)  右災害割増特約死亡保険金については、不慮の事故(急激かつ偶発的な外来の事故)を直接の原因として、その事故の日からその日を含めて一八〇日以内に死亡した場合には、普通死亡保険金に加え、災害死亡保険金をその受取人に支払う旨の約定がある。

2  太郎は、平成四年五月一七日、自宅を出たまま行方不明となり、平成八年一月七日、同人の遺体が、静岡県裾野市芦ノ湖スカイライン(以下「本件道路」という。)箱根峠側料金所より約四キロの地点にある杓子峠展望台広場(別紙図面の斜線部分。以下「本件広場」という。)から約一二〇メートル下方付近の斜面(以下「本件斜面」という。)から、原告所有の小型乗用車(トヨタクラウン足立五二つ○○―○○。以下「本件車両」という。)とともに発見された。(甲四の一、甲六の一、甲一五)

3  原告は、被告に対し、本件契約に基づき、普通死亡保険金五〇〇〇万円、災害割増特約死亡保険金五〇〇〇万円、合計一億円を請求した。

平成八年五月二日、被告は原告に対し、普通死亡保険金五〇〇〇万円のみを支払った。

4  原告は、被告に対し、平成九年六月四日到達の書面で、本件契約の災害割増特約に基づき、災害死亡保険金五〇〇〇万円の支払を請求したが、被告は、太郎の死亡は不慮の事故によるものではないとして、その支払を拒絶した。

二  争点

1  太郎の死亡が不慮の事故によるものか

(原告の主張)

(一) 太郎は、本件車両を運転中、運転を誤って転落事故を起こし、死亡したものである。

(二) 太郎が本件車両の運転を誤って転落事故を起こしたことを裏付ける事実は、以下のとおりである。

(1) 転落事故の蓋然性

① 本件広場に面した急カーブ(以下「本件カーブ」という。)は運転者が漫然高速のまま進入するおそれの高い道路状況となっているうえ、本件カーブはカーブの途中でカーブが終わるかのような錯覚を抱かせる構造となっている。また、本件広場は未舗装の砂利敷きとなっているうえ、周囲に柵がまったくない。このような本件広場及びその周囲の道路状況からは、本件カーブはきわめて事故を誘発しやすい。

② 太郎はドライブを趣味としており、休日に一人で箱根にドライブに行くこともしばしばあった。また、同人の運転はやや乱暴で、同人は、多少の交通違反はかまわないという性格であった。

(2) 自殺ではないことを根拠づける事情

① 現場の状況

ア 太郎の遺体は、同人が行方不明となった日から約四年後、他の転落事故の処理中偶然発見されたことからわかるように、現場は他人に発見されにくいところである。仮に、太郎が経営難を苦に自殺したのであれば、家族に生命保険金が支払われるように遺体が発見されるような場所を選ぶはずである。

イ 太郎の遺体は、本件車両の発見位置より三メートル上方の位置で発見されている。また、同人が着用していたと思われるジャンパー、シューズのほか、カセットケース、眼鏡、ベルト五本がやはり車両外部、しかも本件斜面の上方で発見されている。このことは、車両ごと転落して重傷を負った太郎が、破損したドアガラス部分から抜け出し、本件斜面を登ろうとしたことを推認させる。

② 動機

ア 太郎の経営していた原告は、太郎の失踪直前には赤字経営となっていたものの、それほど深刻なものではなく、太郎が業績の悪さを悲観して自殺するとは考えられない。

イ 平成四年当時、原告は都民信用組合に対する負債が約一億五〇〇〇万円あったが、原告及び太郎の借入れのほとんどは同組合からであって、いわゆるサラ金等には一切手を出していなかった。

ウ 太郎は、昭和四七年、個人で営んでいた靴の製造業を倒産させ、約八〇〇万円の債務を負い、一切の財産を失ったうえ、売掛金請求訴訟を提起されるという経験もしている。しかし、太郎は、妻の甲野花子(以下「花子」という。)と協力しながら債務の返済を終え、経済的に再起した経験を有している。

エ 太郎は、昭和三八年六月、トラックと正面衝突をし、運転していた自動車のボンネットが完全に押しつぶされるという事故に遇ったにもかかわらず、奇跡的に命を取り留め、一〇日間ほどの入院程度の怪我で済んでいる。右事故により、太郎は、自動車が相当の衝撃を受けても、運転者が確実に死亡するとはいえないことを身をもって体験していた。しかし、本件車両が発見された本件斜面は、植物が生い茂ったなだらかな斜面となっている。また、箱根峠方面から本件広場に向かって走行する運転者からは先が見通せない状況になっており、その先が絶壁ないし急斜面になっているかは一見して明らかではなく、自殺場所として選ぶことは考えにくい。

オ 太郎の自宅からは遺書は発見されておらず、自殺の意思を窺わせる行為すら家族に示していない。

カ 太郎には、肝臓の疾患等を理由とする体調不良があったことが推認されるが、同人は病院から再検査の指示を受けても何ら落ち込んでいる様子は見られなかった。

キ 太郎の夫婦関係に問題はなく、太郎は娘を大変かわいがっていた。

ク 花子は、太郎の失踪後、すぐに事故のことを心配し、警察署に捜索願を出す際も、再三事故の可能性を訴えていた。逆に、花子は太郎の自殺の可能性についてはまったく考えていなかった。

③ 生命保険契約締結の経緯

太郎の失踪当時、同人を被保険者とする生命保険契約は本件契約の普通死亡保険を含め三件存したが、うち二件はそれぞれ昭和六四年一月、平成二年五月の契約であって、しかも、いずれの契約も太郎が積極的に加入したものではない。したがって、太郎が保険金の詐取を目論んで生命保険に加入したとは考えられないし、家族に保険金が支払われることを期待して自殺した可能性もきわめて低い。

(被告の主張)

(一) 本件は、太郎の遺体及び本件車両の発見状況並びに本件カーブ及びその周辺地域の道路形状以外には事実関係を客観的かつ具体的な証拠によって確定できない事案である。すなわち、本件においては、太郎は、平成四年五月一七日に行方不明となった後、平成四年ころの日時不詳のころ、本件車両で不詳のルートをたどり、太郎の遺骨が発見された現場付近に至り、何らかの原因により本件車両が崖下に落下し、その付近で何らかの原因により死亡したものであると考えられるに過ぎないのであって、そもそも太郎がいつ、いかなる態様で死亡するに至ったかすら認定することはできない。そうすると、不慮の事故の要素である、「急激性」「外来性」についてすらおよそ証拠により確定することはできない。

これに対し、原告は、太郎は本件車両を運転中スピードを出しすぎたため本件カーブから転落したものである旨主張する。しかし、右主張はことさら合理性があるものとは認め難く、また、これを証拠により認定することもおよそ不可能である。原告の主張は想像ないし憶測の域を出ない。

(二) 自殺であることを窺わせる事情

また、以下の事実に照らせば、太郎の死亡が自殺によるものである可能性が大きい。

(1) 本件カーブ付近の状況

① 本件カーブの存する本件道路は箱根山麓の山肌を縫うように設置された、起伏に富み、かつ随所にカーブが存在する道路であり、最高速度も全線にわたり時速四〇キロメートルに制限され、走行にあたってはカーブごとにかなりの減速を余儀なくされる状態にあり、漫然スピードを出して走行し得るような道路ではない。

② 本件道路においては、箱根方面から本件カーブに至る途中にほぼ直角に近いカーブが存在しており、当該カーブを進行するには必然的にかなりの程度の減速を余儀なくされる。そして、これに続く直進部分も登り勾配であり、かつその距離もわずかなものにすぎず、前方視界も登り坂のため制限され、十分な状況とは言い難い状況にあり、漫然スピードを上げられるような場所ではない。

③ 箱根方面から本件カーブに至る場合、本件カーブの手前に「急カーブ、スピード落せ」との大きな道路標識が設置されている。また、本件道路においては、本件カーブの手前の路面にカーブ走行のための十分なバンク(傾斜)が設計され、かつ、センターラインとともに進行方向を示すゼブラ模様のペイントが施され、また、路側のガードレールにはやはり進行方向を示すゼブラ模様の蛍光標識が設置されており、漫然進路を誤るがごとき道路形状にあるものとも、錯覚が生じうるものとも評しがたい。

④ 原告の主張によれば、太郎は箱根によく赴いていたというのであるから、箱根近辺の道路はカーブが多い山道であることは熟知していたはずである。また、太郎は、昭和三八年六月に交通事故に遭遇して以来、約二九年間無事故であったというのであるから、本件カーブにおいて漫然減速等の措置をとることもなく事故を惹起したというのも合理的に理解し得ない。

⑤ 原告が本件車両の転落場所として主張する場所は、すでに本件カーブを右にハンドルを切りながら三分の二以上は曲がり終えた場所に位置するものであり、原告の主張を前提とすれば、そのような状況から太郎は突然直進するようにハンドルを左に切り戻したことにならざるを得ない。

⑥ 本件広場の北側には大きな岩石がいくつも存在しており、車両がこれらの岩石に衝突することなくその間を通り抜けようとしたとしても、かなり意識を集中しなければそのこと自体も困難な状況にあり、岩石に衝突することなく岩石の間を通過しうるとすれば、そのような場所はほぼ一箇所のみ存在するだけである。

⑦ 本件広場は十分に広く、故意に突入することはきわめて容易である。本件広場の広さなどからみれば、いったん本件広場に停車したうえ、アクセルを踏み込み急加速して自殺を図ったことも考えられる。

⑧ 本件車両が発見された現場は、断崖上を呈しており、自殺に不向きな地形であるとは評し得ない。

⑨ 本件カーブ付近は富士山を間近に眺望しうる場所であり、原告の主張によれば箱根が好きであったという太郎が、いわば死に場所として本件カーブを選んだとしても何ら不思議ではない。

(2) 原告の経済状態

① 太郎の失踪当時、同人経営の原告は、すでに資金繰りのめどの立ち得ない状況に立ち至っていた。また、原告は、都区民税、消費税、固定資産税等の公租公課の支払もなしえず滞納中であり、都民信用組合に対し多額の債務を負い、平成四年三月以降は同組合に対する手形借入金、利払い等もなしえていない。また、営業それ自体すでに赤字であり、好転が見込まれる状況にはなかった。

② 原告代表者である花子は、都民信用組合の申立てによる引渡命令申立事件(東京地方裁判所平成七年(ヲ)第一二七三号。以下「引渡命令事件」という。)において「追いこまれて主人は家を出たのです。」との回答をしている。

(3) 太郎の健康状態

太郎は、平成四年五月初めころから妻である花子に対し胃の痛みを訴え、体にむくみが生じており、肝機能障害もしくは肝硬変の症状を呈し体調が不全の状態にあった。

(4) 自殺者の心理

① 自殺者が生命保険金を家族に得させようとするものとはいえないことはもちろんであり、また、自殺者が必ずしも自己の遺体の発見を望んで自殺場所を選定するものとも考えがたい。むしろ、海やダム、山中など人里離れた場所を自らの死に場所と定めることも多々認められることこそ公知の事柄といってもよい。

② 自殺者が遺書を残す割合は約二割であり、むしろ自殺しようとする者にとって遺書は何らの意味を持ち得ない。

③ 自殺者は、家族などの心配をかけないようにするものであり、そのことが深刻な心理的葛藤を生み、自殺念慮の形成につながるものと考えられる。

④ 女性より男性、若年及び老年者より壮年期にある者の方が経済的問題を動機とする自殺をなす者が多いというのは統計上も心理学者によっても指摘されている。ことに、有職者のうち自営業者の自殺についてはその約四割が経済的理由を原因とするものであり、近時、経済的理由による自殺が増加しているのも公知のとおりである。

(三) したがって、太郎の死亡原因が不慮の事故によるものと認めることはできない。

2  不慮の事故であることの立証責任の内容として、自殺でないことまで含むか。

(原告の主張)

(一) 不慮の事故とは、急激かつ偶発的な外来の事故をいうところ、保険金請求者が立証責任を負うのは「急激性」「外来性」の要件のみであって、「偶発性」の要件については、保険者が「偶発性」の不存在について立証責任を負うと解すべきである。

(二) 「偶発性」の不存在について保険者が立証責任を負うべき理由

一般に、立証責任の帰属については、当事者間に当該立証事項に関する契約がある場合には、その契約の定め方により、契約がない場合には当該法律要件について実体法規がいかなる規定の仕方をしているかによって、これを決すべきものとされている。このような基準に立って、本件契約の約款を見ると、災害割増特約四条二項は、わざわざ被保険者の故意に基づく事故について支払免責を規定している。しかも、同項は、被保険者の故意によって「支払事由が発生した場合には」と規定しており、これを素直に読めば、被保険者の自殺の場合には、支払事由すなわち「不慮の事故」には該当するが、事故の「偶発性」がないから保険者は免責されるという趣旨に解釈できる。

もっとも、「偶発性」の立証責任について、特約の解釈としてはいずれとも決し得ないとの考えもあり得る。このような場合、保険に関する商法の規定によって立証責任が決せられるところ、生命保険に関する商法六八〇条一項一号、損害保険に関する六四一条はいずれも被保険者の故意あるいは自殺が保険者の免責事由であることを明確に規定しているのである。

(三) したがって、「不慮の事故」の立証責任の内容として自殺でないことまでは含まず、免責を主張する保険者が自殺であることを立証すべきである。

(被告の主張)

(一) 不慮の事故とは、「急激性」「外来性」「偶発性」の三要件をみたす事故をいうところ、これらの三要件は権利発生要件たる事実として、災害死亡保険金の請求者がその立証責任を負担すべきである。

(二) 「偶発性」の存在について保険金請求者が立証責任を負うべき理由

(1) 災害死亡保険金は、「不慮の事故による被保険者の死亡」という一連の事実が存在することを条件として初めて発生するものであり、その立証責任は、その権利の発生を基礎づける事実としてこれを主張する者が負担すべきである。

(2) 「不慮の事故」という概念はそれ自体においてすでに本質的要素として当事者の主観的意思に基づかないことを含んでいる。

(3) 保険金請求者は、一般的に被保険者と生活領域を共にし、または共通としていることが多く、事実関係の把握、資料の捕捉等は保険者よりはるかに容易である。これに対し、保険者は保険事故が生じた場合に調査をなすものであるが、一般に保険金請求者等は不利益な事実等を秘匿する性向が高く、捜査機関のように強制的調査権限等を何ら有しない保険者にとって、事実関係を捕捉することはかえって困難である。そうすると、公平、立証の難度という観点からも、故意(自殺)でないことの立証責任を保険金請求者に負担させることは不合理ではない。

(4) 故意(自殺)であることについて保険者に立証責任を負わせる見解は、主観的要素の不存在という消極的事実の立証の困難をその根拠とするが、具体的事案における心証形成過程では果たして机上の論理にいうほどの立証の不可能性がつきまとうと言い得るのか否か疑問とするところである。

(5) 故意(自殺)であることについて保険者に立証責任を負わせる見解は、約款に故意免責の規定が別個に定められていることをその根拠とする。しかし、故意免責規定は、本来の不慮の事故の概念とは相容れないものであり、むしろ注意的に掲記されたものにすぎないと解すべきである。

(6) 保険会社は「不慮か故意か決定されない傷害」を給付対象外として統計的に保険事故発生率を算定し、これにより特約保険料等を決定しているのであって、本件のように五〇〇〇万円の災害死亡保険金の保障に対しては特約保険料は二五〇〇円と低廉であるのも、右のことを前提としたものである。

(7) 「不慮の事故」という文言は、その表現自体において一般人も「思いもかけぬ事故」の場合に初めて災害死亡保険金が支払われるのであろうということは、あらかじめ契約時に十分認識しているものと考えられ、「不明」な場合にも災害死亡保険金が支払われるものと考えているものとは思われない。そうすると、「不明」な場合に災害死亡保険金が支払われないことは決して保険金請求者の合理的期待を裏切るものではない。

(三) したがって、「不慮の事故」の立証責任の内容としては自殺でないことまでも含むのであって、保険金請求者は自殺でないことを立証すべきである。

第三  当裁判所の判断

一  前提事実及び証拠によれば、以下の事実が認められる。

1  太郎の経歴及び家族関係等

(一) 太郎は、昭和一六年三月一〇日、群馬県伊勢崎町で出生し、昭和四一年に花子と結婚した。太郎と花子との間には、長女春子(昭和四五年九月生まれ)がいる。(甲六の一、甲一五)

(二) 太郎は、昭和四三年ころ、勤めていた会社を退職して靴製造業を始めたが、昭和四七年二月、倒産した。その後、太郎は、同年七月ころから靴の加工業を再開し、その後原告を設立した。

原告は、靴、ベルト、鞄の皮革加工等を目的とする有限会社であるが、昭和六〇年ころからは、主にベルト製品の製造を行っていた。(甲四の一、甲六の一、甲一五、弁論の全趣旨)

(三) 太郎は、大の車好きで、休日には早朝から一人でドライブに出かけることもしばしばであった。(甲六の一、甲一五、甲一七の一)

2  太郎の失踪

(一) 太郎は、日曜日である平成四年五月一七日朝、本件車両を運転して外出したまま行方不明になった。花子は、当月一九日、太郎の失踪届を城東警察署に提出した。

その後、花子は、平成六年に失踪届の書き替えをした。(甲四の一、甲六の一、甲一五)

(二) 太郎の遺書は発見されていない。(甲六の一、甲一五、甲一七の一、弁論の全趣旨)

3  本件車両及び太郎の遺体の発見

(一) 平成八年一月七日午後零時三〇分ころ、岡部保所有の普通乗用自動車(以下「岡部車」という。)が、サイドブレーキが十分にかかっていなかったため、同人の妻である岡部清子を助手席に乗せたまま、前方から斜面を滑るように、本件広場から約二〇メートル下方に転落し、同女が負傷する事故が発生した。(甲四の一、甲一七の一)

(二) 右転落事故の処理中、岡部車の停止位置よりさらに約一〇〇メートル下方の地点で本件車両が発見された。本件車両は、本件広場から見て岡部車よりやや左斜め下の方向に位置していた。(甲四の一、二、甲一〇、甲一七の一)

4  本件車両及び太郎の遺体の状況

(一) 本件車両は、その発見時、大きな岩のすぐ下に、天井部分を地面につけ(いわゆる仰向けの状態)、前部を本件広場側に向けた状態にあった。

本件車両の発見時の状態は以下のとおりである。(甲四の一、二、甲一〇、甲一七の一)

① 車両の前後及び天井が破損

② フロントガラスはひび割れた状態

③ ドアガラスは四枚とも破損(運転席側と助手席側は全損)

④ ドアはいずれも閉じられた状態

⑤ イグニッションはオンの状態

⑥ ミッションはドライブに入った状態(なお、本件車両はオートマチック車である。)

⑦ サイドブレーキはかかっていない状態

(二)(1) 太郎は、本件車両の発見地点から約三メートル上方の窪地のところで、白骨化した状態で発見された。太郎の遺骨は、その発見時、上下顎骨、右頬骨及び右眼窩の一部を欠損した頭蓋骨、右尺骨、右腓骨、左肩甲骨、右鎖骨並びに右第一肋骨の一部が残存していた。また、右第一肋骨の中央には亀裂骨折が存在していた。(甲四の一、甲一〇、甲一七の一、乙一二)

(2) 太郎の遺骨は、発見時には死後三年ないし五年経過していたものと推定されている。(甲四の一)

(3) 太郎の死体検案書には、「死亡の原因」欄に「不詳」との記載がある。(甲四の一、乙一二)

(三) 太郎の遺骨が発見された地点より約一五メートル上方の斜面には、右足用のカジュアルシューズ、青色ジャンパー、カセット入れケース、車検証入れ、婦人用ベルト、眼鏡及びケースが散乱した状態で発見された。(甲四の一、甲一〇、甲一七の一)

5  本件車両の発見現場付近の状況

(一) 本件斜面は、斜度が最大約四五度の斜面となっており、高さ約一メートルの笹及び雑木が密生している。また、本件斜面には所々に比較的大きな岩石が点在している。(甲四の一、甲五の一、三、甲八、甲一三、甲一七の一ないし四)

(二) 本件車両が発見された地点の上方にある本件広場は、別紙図面の斜線部分のとおりの形状で、舗装されていない、約二〇〇坪の広場であって、本件カーブの先端に位置している。また、本件広場には本件車両の発見に至るまで柵が設けられていなかった。(甲四の一、甲五の一ないし四、甲八、甲一〇、甲一三、甲一六、甲一七の一ないし四)

(三)(1) 本件道路は、箱根峠方面と御殿場方面とを結ぶ片側一車線の有料道路で、道路の幅員は概ね6.4メートルないし6.8メートルである。本件道路を箱根峠方面から御殿場方面に向けて走行してきた場合、料金所から本件カーブに至る間にはそれほど急なカーブはなく、むしろ見通しの良い直線ないしは緩やかなカーブが続いており、ある程度の高速走行ができる状況にある。しかし、本件広場の手前からは、全体として約一六〇度近く右に転回する本件カーブとなり、本件広場は本件カーブを曲がり終える最終部分の左側に位置している(その具体的状況は別紙図面参照)。そして、本件カーブの右側は土手になっており、道路の先の見通しが利かないため、どの程度カーブが続くのかその終了地点が見極めにくい。(甲四の一、甲五の一ないし四、甲八、甲一三、甲一六、甲一七の一ないし四)

(2) 本件道路には、本件カーブの手前箱根峠側に、別紙図面のとおり、「急カーブ、スピード落せ」と記載された標識が存する。また、本件カーブには方向を示す山型表示(>)が記載されており、本件カーブに設置されたガードレールには山型が二本入った表示(≫)が記載された警戒板が設置されている。(甲五の二、甲八、甲一三、甲一七の一ないし四)

(3) 本件道路の制限速度は時速四〇キロメートルである。(甲五の二、甲八、甲一三、甲一七の一ないし四)

6  原告の経済状態

(一) 太郎と花子は、江東区亀戸九丁目に約四〇坪の土地(以下「本件土地」という。)を所有し、太郎は右土地上に一階を工場、二階を住居とする建物を所有していたが、原告は、本件土地上に住宅兼作業場を新築することとして、その費用として約一億円の融資を都民信用組合から受け、平成元年一月、本件土地上に住宅兼作業場(以下「本件建物」という。)を新築した。(甲六の一、甲一五、甲一七の一、乙一)

(二) 原告は、テナントビルを建設する目的で、平成元年一一月一五日に江東区亀戸九丁目所在の借地権付建物を、次いで平成二年五月一五日に右建物の底地をそれぞれ購入し、平成三年三月一五日、右土地上にテナントビル(以下「本件テナントビル」という。)を新築した。

原告は、本件テナントビル建設のため、都民信用組合から約四億二〇〇〇万円の融資を受けた。そのため、平成三年ころには原告は同組合に対し約五億五〇〇〇万円の債務を負うこととなった。

ところが、本件テナントビルにはほとんどテナントが入居しなかったため、原告は、平成三年七月二六日、本件テナントビル及びその底地を株式会社平和塗装に約四億円弱で売却し、売却代金を都民信用組合に対する債務の弁済に充てた。その結果、同組合に対する債務は約一億五〇〇〇万円に減縮された。そして、太郎は、原告の将来を展望できるような状況になり、新製品の製造にも意欲的に取り組もうとしていた。(甲六の一、二、甲七、甲一四、甲一五、甲一七の一、乙六ないし八)

(三) 原告の決算は、平成元年度(昭和六三年八月一日から平成元年七月三一日まで)は黒字であったものの、平成二年度(平成元年八月一日から平成二年七月三一日まで)は三三五万五四二七円の赤字、平成三年度(平成二年八月一日から平成三年七月三一日まで)は三二四七万五一一〇円の赤字、平成四年度(平成三年八月三一日から平成四年七月三一日まで)は四三六七万七七六一円の赤字であった。太郎が失踪した平成四年度については、営業収支は約一〇七万六〇〇〇円の赤字であった。(甲一一、甲一四)

(四) 太郎の失踪後である平成四年七月二〇日、東京都江東都税事務所は本件建物を滞納処分により差し押さえた。また、同年九月三日には、根抵当権者である都民信用組合の申立てにより、本件土地及び本件建物につき競売開始決定がなされた(東京地方裁判所平成四年(ケ)第二八九六号。以下「本件競売事件」という。)。また、同年一一月二五日には江東東税務署が本件建物について滞納処分による参加差押えをした。

都民信用組合が本件競売事件を申し立てたのは、原告ないし太郎が、平成三年九月二六日付けの消費貸借契約による貸金につき平成四年五月二五日に支払うべき割賦金の返済を、平成四年一月一六日付け消費貸借契約による貸金につき同年四月六日に支払うべき元金の返済を、昭和六三年五月二五日付け消費貸借契約による貸金につき平成四年四月一五日に支払うべき割賦金の返済をそれぞれ怠ったためである。

また、東京都江東都税事務所の右滞納処分による差押えは、原告が平成四年三月二日納期限の固定資産税一万六〇〇〇円及び不動産取得税一四七万四〇〇〇円を滞納したためである。(甲一五、乙一、乙三、乙四の一ないし九)

(五) 原告は、都民信用組合へ返済するため、平成四年三月二五日に有限会社大高商事(以下「大高商事」という。)から二五〇万円を借り入れたことがあるほかは、その借金の大部分が都民信用組合からのものである。なお、太郎は、大高商事から借金していることは花子には知らせていなかった。(甲一五、乙五の一、二、弁論の全趣旨)

(六) 原告は、平成四年八月、ベルト製造業を廃業し、その営業を休止した。(甲六の一)

7  生命保険契約の状況

太郎を被保険者とする本件契約以外の生命保険契約は以下のとおりである。なお、太郎は生命保険には無関心であり、以下の各生命保険契約は、いずれも花子がその友人である青谷イチ子の依頼で加入手続きを進めたものである。(甲四の一、甲六の一、甲一五、甲一七の一、弁論の全趣旨)

① 契約日 平成二年五月一日付け

契約者 太郎

保険者 第一生命保険相互会社(以下「第一生命」という。)

保険金額 合計二一〇〇万円

② 契約日 平成三年一一月二一日付け

契約者 太郎

保険者 第一生命

保険金額 合計三五〇〇万円

8  太郎の健康状態

太郎は、失踪直前、胃痛を感じたうえ、花子から顔がむくんでいると指摘されたため、平成四年五月七日、同愛記念病院において検査を受けたところ、高血圧症及び肝機能障害が発見され、医師から再検査を指示された。しかし、太郎は、失踪するまで再検査を受診することはなかった。(甲一五、甲一七の一、弁論の全趣旨)

9  花子の回答

本件競売事件に関連する引渡命令事件において、花子は、東京地方裁判所に対する回答書の中で、都民信用組合が本件競売事件を申し立てたことについて「一方的なやり方で家族までこわされてくやしいばかりです。追いこまれて主人は家を出たのです。」と回答している。(甲六の二、甲一五、弁論の全趣旨)

二  以上の事実をもとに争点1について検討する。

1  本件契約においては、「不慮の事故」とは、急激かつ偶発的な外来の事故をいうものと定義されている。すなわち、「急激性」「偶発性」「外来性」の三要件を満たす事故を「不慮の事故」というものとされている。そこで、以下に太郎の死亡がこの三要件を満たす事故によるものか否かを検討することとする。

2(一)  まず、右に認定したとおり、太郎は平成四年五月一七日朝、本件車両を運転して外出したまま行方不明となり、それから約三年八か月経過した後である平成八年一月七日、本件広場から約一二〇メートル下方の本件斜面上で本件車両とともに遺体となって発見されたものであって、本件車両が本件広場からかなり下方の地点で発見されていることや本件車両及び太郎の遺体が発見された前記認定の状況に照らせば、太郎は、本件車両を運転して本件斜面へと転落したものと推認できる。そして、本件カーブ付近には本件広場以外に本件車両の転落地点として考えられる場所は存在しないうえ、本件車両の発見された位置に照らせば、本件車両は、転落するにあたっては、本件広場を箱根峠方面から走行して、本件広場の別紙図面点(以下「本件転落場所」という。)より転落したものと推認できる。

以上の推認事実に加え、太郎の遺体は本件車両から約三メードルしか離れていない本件斜面上で発見されていること、太郎の遺骨の右第一肋骨の中央に亀裂骨折が認められること、太郎は高血圧症及び肝機能障害を有していたものの、突然心神喪失状態に陥ることがあるような疾病を有していたわけではなかったことからすると、太郎の死亡は、同人が本件車両を運転して本件広場から転落した結果によるものと推認するのが相当である。

(二)  なお、太郎の死体検案書には、死亡の原因は不詳である旨の記載があるが、死体検案書の死亡原因欄は医学的見地から記載されるものであるから、医学的見地からは死亡原因を特定できない場合であっても、遺体の発見現場の状況その他の状況証拠から太郎の死因を右のように特定したとしても、何ら右死体検案書の記載と矛盾するものではない。

(三)  以上のように、本件においては、太郎は本件車両を運転して、本件広場を箱根峠方面から走行して転落し、その結果死亡したものと推認できる。そうすると、太郎の死亡は「急激」かつ「外来」の事故によるものといえる(以下、太郎の死亡の原因となった事故を「本件事故」という。)。

3  では、太郎の死亡は「偶発的」な事故によるものといえるか。

この点、偶発性と故意の関係をどのように理解するかは立証責任の所在と絡んで諸説あり得るが、本件においては、太郎が本件車両を運転して本件広場から転落し、その結果死亡したことは右2に述べたとおりである。そうすると、本件事故が太郎の故意(自殺)によるものであれば、保険金は支払われず、それ以外の原因によるものである場合には保険金が支払われることになる。そこで、以下に本件事故が太郎の故意によるものか否かを検討することとする。

(一) 本件車両の進行態様、転落現場付近の状況からみた考察

本件車両は、本件広場から約一二〇メートルも下方の地点で発見されており、しかも、本件車両に搭載されていたと思われる物品が本件斜面に散乱していることからすると、本件車両がかなりの速度で本件広場上を走行し、本件斜面を転落したものと推認できる。

そして、本件道路は本件カーブに至るまでの間は比較的見通しの良い直線ないしは緩やかなカーブが続いているところ、本件カーブは本件道路のカーブのなかでもかなり急な方であって、本件カーブ付近には車両の運転に注意するよう警告する標識が多数存するのである。このような道路状況に照らすと、太郎は、箱根峠方面から御殿場方面に向けて高速で走行して本件カーブに至り、右側の見通しが十分でないため、カーブの終了地点が必ずしも明らかでなく、ハンドルを右に切りきれずに、本件車両の進路が路肩を越えて左に膨らみ、そのまま本件広場に進入し、当時本件広場には転落防止用の柵等が設けられていなかったため、そのまま転落事故に至った可能性は十分にありうるというべきである。

なお、被告は、本件カーブ付近に危険を示す道路標識等が多数設置されていることから、本件カーブが漫然進路を誤るような道路形状にあるとはいえないと主張し、甲第一七号証の一にも同旨の記載が存する。しかし、このような道路標識等が多数設置されているということは、本件カーブが高速走行の際には運転を誤る可能性を秘めた危険なカーブであるということを如実に示しているのであって、右標識が存することをもって、太郎が運転を誤った可能性を否定することはできない。

また、被告は、本件事故はその態様に照らすと、太郎が故意に本件広場に運転車両を進入させ、自殺を図ったものとみるべきであると主張するが、本件広場及び本件斜面の形状に照らすと、確実な自殺の方法という点で見る限りは、必ずしも相応しいものとはいえないし、本件現場付近を管轄する静岡県沼津警察署の警察官が本件道路で過去に車両を使用して自殺を図った例は経験していないと証言していること(甲一〇)なども考慮すると、いずれにしても事故の態様のみからただちに本件事故を太郎の故意による自殺とみることは困難である。

もっとも、以上指摘した点をもっても、太郎が本件広場の先が断崖絶壁であると考え、意図的に自殺場所として本件広場から本件車両を転落させ、あるいは発作的に本件車両ごと転落する行為に出たというような可能性までをもまったく否定することも困難であるのも事実であるが、本件事故に関しては、事故発生後、本件車両及び太郎の遺体が発見されるまで、三年七か月以上の期間が経過しているものと推定されるところ、事故の目撃者もなく、ブレーキ痕等の客観的な資料も存しないばかりか、事故の発生時が昼間か夜間か、当時の天候がどのようなものであったのか、霧の発生等(弁論の全趣旨によれば、本件現場付近では霧が発生することも稀ではなかったと認められる。)により道路の見通しが悪かったか否かといったことも一切不明で、事故の態様自体が推測によるしかないのである。

そうであるとすれば、本件事故につき、証拠上認定しうるその態様に照らして、いずれの可能性が合理的であるかという見地からみると、前記のとおり、本件事故が太郎が運転を誤った結果生じた事故とみる余地が十分にあるのに対し、自殺とみるについてはその可能性が皆無とは言えないにしても、多くの疑問が残るのであるから、そもそも一般的には自殺というのは例外的な現象であることも考慮すると、他に太郎につき自殺の可能性を窺わせるに足る事情が存すれば格別、本件事故は、その態様から照らす限りは、太郎の故意(自殺)によるものではないと事実上推定するのが相当というべきである。

そこで以下、太郎につき自殺の可能性を窺わせるに足る事実が存するかについて検討する。

(二) 太郎の経済状態からみた考察

太郎の生前の生活状況を見ると、原告の決算は平成二年以降毎年赤字であったのみならず、年々その赤字額も増大し、太郎が失踪した平成四年には四〇〇〇万円以上の赤字であったことは右に認定したとおりである。また、原告は、平成三年に本件テナントビルを新築したもののテナントが入居せず、同年中に本件テナントビルを売却し、五億円以上の負債を抱えることになったものである。さらに、原告は、太郎が失踪する約二か月前に既に固定資産税一万六〇〇〇円及び不動産取得税一四七万四〇〇〇円を納付できなくなっており、そのうえ、都民信用組合に対する借入金の返済も遅くとも平成四年四月には不可能になり、太郎の失踪後に本件土地及び本件建物が競売に付せられているのである。

このような経緯に照らすと、太郎の失踪直前には原告の経営はかなり逼迫した状況にあったことは明らかである。そして、このような原告の経営の悪化が精神状態を追いつめていった可能性もある。

しかしながら、原告の平成四年度の決算によれば、確かにその赤字は多額であり、累積赤字も相当な額に達しているものの、営業収支をみれば約一〇七万六〇〇〇円の赤字にとどまっており、営業面だけをみれは必ずしも極めて悪化しているとまではいえない状況であった。さらに、原告はその借入れの大部分を都民信用組合に依存しており、いわゆるサラ金、高利貸等から多額の借入れをしていたということも認められないから、未だ原告の経営にあたっては善後策がない状況に陥っていたとはいえない。また、本件テナントビルの建設・経営は、当初の目論見と異なり、テナントが入居しないことから失敗し、原告は約五億五〇〇〇万円もの債務の返済に窮する状況になったと認められるが、税理士事務所の助言を受けて平成三年七月に本件テナントビルを売却し、その代金によって都民信用組合に対し約四億円を返済し、原告の都民信用組合への負債は約一億五〇〇〇万円まで減少し、最悪の事態はむしろこのとき脱したものと評価しうる。その結果、都民信用組合への返済についても話し合いが可能な状況にあったし、太郎は新製品の製造にも前向きに取り組むなどしており、同人が原告の経営に絶望していたとは到底いえない。なお、本件土地及び本件建物の競売については、太郎の失踪時点ではまだその申立てはなされていなかったものであるから、太郎が本件土地及び本件建物まで手放さなければならなくなったことを悲観したとも考えにくい。

以上によれば、太郎の失踪時に原告の経営が太郎に自殺を決意させるほど絶望的な状態にまで立ち至っていたとは認めることはできない。

(三) 太郎の健康状態からみた考察

太郎が、その失踪直前に高血圧症及び肝機能障害が発見され、再検査を指示されていた事実は認められる。太郎が肝機能障害について検査時に告知されていたか否かは関係各証拠からは必ずしも明らかではないが、仮に太郎が肝機能障害について告知されていたとしても、肝機能障害が直ちに生命を脅かす疾病であるわけではなく、太郎が特段これを気に病んでいた様子も窺われないから、これが自殺の動機になったと認めることはできない。

(四) 太郎の失踪直前の言動から見た考察

太郎は、昭和四七年に自営の靴製造業が倒産した折にも、花子と力を合わせて乗り切ってきたのであり、自殺するほど絶望的状況であればこれまで苦楽をともにしてきた花子に相談するか、少なくとも花子が気づくのが自然であるところ、失踪直前にも通常と変わったところもなかったと認められる。また、遺書は存在しないし、ほかに太郎につき自殺を窺わせるに足る言動があったと認めるに足る証拠もない。(甲六の一、甲一五)

(五) 総合的検討

以上(二)ないし(四)で検討したところによれば、太郎が失踪した当時の原告の経済状況は、さほど深刻なものではなく、それどころか最悪の状況を脱し、太郎も将来に向けて新製品を製造しようとするなど、原告の経営に関し前向きな努力をしていたと認められる。また、太郎については、遺書等は一切存在せず、失踪前に自殺を窺わせるような変わった様子もなく、健康状態が特に悪かったわけでもなかったのであり、結局、太郎については自殺の動機は見当たらないといわざるを得ず、ほかに自殺の可能性を窺わせるに足る事情も存しないというべきである。そうであるとすれば、(一)で検討したところにより、事実上の推定を覆すに足る証拠は存しないというべきであるから、本件事故は太郎の故意によるものではないと認めるのが相当である。

第四  結論

以上によれば、争点2について判断するまでもなく原告の請求は理由がある。よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官西岡清一郎 裁判官金子修 裁判官武藤貴明)

別紙図面〈省略〉

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